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川崎市まちの樹50選

みなさんも、ご近所の「まちの樹」を探してみませんか?

川崎市では、「緑の基本計画」に基づき、緑豊かで暮らしやすいまちづくりを進めています。

1973年からは、歴史や命の大切さを伝える貴重な木を「保存樹木」として指定し、大切に守ってきました。

その後、2000年に条例が整備され、新たに「まちの樹」という制度がスタート。

市民のみなさんから、地域で親しまれている木や、伝承・歴史を持つシンボルツリーを募集し、専門家などによる選定を経て、2003年に50本が「まちの樹」に選ばれました。

地域で愛され続ける木々を守りながら、“緑あふれる川崎”を目指すとともに、ふるさとへの愛着を育んでいこう――。

そんな思いを込めてまとめられたのが「川崎市まちの樹50選」です。

川崎市HP 川崎市まちの樹50選
https://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000018370.html

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川崎市まちの樹50選・川崎大師平間寺 「クスノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号2

川崎区・川崎大師平間寺のクスノキ(楠)

日本屈指の厄除け霊場川崎大師平間寺

名称: 金剛山 金乗院 平間寺(通称:川崎大師)
御本尊: 厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)
宗派: 真言宗 智山派(総本山:京都東山七条・智積院)
開創: 大治3年(1128年)
開基 / 功徳主: 尊賢上人(そんけんしょうにん) / 平間兼乗(ひらまかねのり)

奇跡の引き揚げ劇から始まった「厄除けのお大師さま」

成田山新勝寺、髙尾山薬王院と並び、真言宗智山派の「大本山」として尊ばれる川崎大師。

その歴史は平安時代末期、ひとりの武士の苦難から始まります。

無実の罪で故郷を追われ、川崎で漁師として暮らしていた平間兼乗。

彼が42歳の厄年を迎えたある夜、夢枕に高僧が立ちました。

「かつて唐で自ら彫り、海に流した像がある。早く網で引き揚げ、供養しなさい。さすれば災厄は転じて福徳となるであろう」

お告げ通りに海へ網を打つと、まばゆく光り輝く弘法大師の木像が引き揚げられました。

兼乗がささやかな草庵で毎日欠かさず供養を捧げていると、やがて諸国を旅していた高野山の高僧・尊賢上人が立ち寄ります。

由緒に深く感動した上人は、兼乗とともに寺院を建立。兼乗の姓から**「平間寺(へいけんじ)」**と名付けました。

その後、お大師さまのご加護により兼乗の無実の罪は晴れ、見事に故郷へ帰ることができたのです。

将軍も参詣! 江戸っ子を魅了したパワースポット

日本に真言密教をもたらしたお大師さまは、「私の姿(形相)を見る者、教えを聞く者を決して見捨てない」という強い誓願を残されました。

現代を生きる私たちにとっても、大きな心のよりどころです。

境内の楽しみ方&見どころ

大本堂を中心とした堂々たる七堂伽藍はもちろん、戦災を免れた貴重な「稲荷堂」など、境内にはご利益あふれるスポットが点在しています。

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高木の伐採作業

近年の温暖化や異常気象(猛暑・豪雨)によって木が弱り、そこに病害虫が取り付いて被害が拡大するケースが増えています。

猛暑・渇水時は散水などのケアが重要です。


木が枯れる原因は、病原菌、害虫、環境の変化、人為的ストレスなど、複数の要因が考えられます。

植栽してから47年を経過し寿命を迎えてしまいました。

幹の中心は空洞になっていて予想より痛んでいました。

このまま放置すると倒木の恐れがあり危険です。

特に弱っている木は危険なのでクレーンで釣り上げた状態で作業を行います。


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緑化かわさきフェアの経済効果

川崎市制100周年記念事業「第41回全国都市緑化かわさきフェア」の経済効果について川崎市から発表がありました。

・2024年秋(10月19日〜11月17日)30日間の来場者数は94万人
・2025年春(3月22日〜4月13日)23日間、来場者数は68万人

神奈川県内への経済波及効果は計135.2億円で、このうち川崎市内への波及効果は88.7億円

「直接効果」は69.4億円、直接効果を受け経済活動が活性化するなどの「間接効果」は19.3億円。

県内や市内に経済波及効果をもたらし、「地域経済の活性化に大きく貢献した」

全国都市緑化かわさきフェアにおける取組と今後のみどりのまちづくりに向けて ⬅⬅外部リンク【川崎市HP】

川崎市市制100周年記念事業・全国都市緑化かわさきフェア2024秋 ⬅⬅

全国都市緑化かわさきフェア2025春開催 ⬅⬅

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川崎市まちの樹50選・稲毛神社「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号01

稲毛神社の大イチョウ(公孫樹)

江戸時代から「山王様の大銀杏」と親しまれていて、この大銀杏の周囲を回りながら願い事をすると、縁結び、子授け、子育て、学問や稽古事の向上に霊験があると言われているそうです。

樹齢一千年といわれる御神木

千年の大銀杏が知る、東海道の古刹「稲毛神社」

武将たちの信仰から「東の祇園」へ――社名に刻まれた波乱の歴史

川崎宿の鎮守として親しまれる「稲毛神社」。

その境内にそびえる樹齢千年の大銀杏は、かつてこの地で繰り広げられた武将たちの祈りと、街道の賑わいを見守り続けてきました。

時代に翻弄されながらも継承されてきた、神社の歴史と由緒をひもときます。

創始は神話の時代へ――武将たちが戦勝を祈った勅願所

創建の年代は定かではないものの、推定樹齢千年の御神木がその古さを物語ります。

社伝によれば、東国の争乱期に武神・武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を祀ったのが始まり。

景行天皇が避難した伝説や、欽明天皇が動乱を鎮めるため経津主神らを併せて祀り、長く「勅願所」とした歴史が伝わっています。

頼朝、家康、そして「東の祇園」へ――幕府とともに歩んだ賑わい

時代が下ると、武家社会の中心的スポットとして存在感を放ちます。

鎌倉〜足利時代: 源頼朝の命を受けた佐々木高綱による社殿造営や、大般若経600巻の施入記録など、武家からの深い信仰を集めました。

江戸時代: 徳川家康公や天海僧正からの寄進を受け、川崎宿および周辺七ヶ村の鎮守として全盛期を迎えます。

毎年6月15日の例大祭「河崎山王まつり」は、その盛況ぶりから**「東の祇園」**と称えられ、東海道の名物となりました。