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川崎市まちの樹50選・汁守神社「ヤブツバキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号50

麻生区黒川・汁守神社の藪椿(ヤブツバキ)

川崎市麻生区黒川の静かな一角に鎮座する、汁守神社(しるもりじんじゃ)。

広さ約6,133平方メートルにも及ぶ境内には、保存樹が生い茂り、川崎市の「まちの樹50選」に選ばれたやぶ椿も残されています。

御祭神は、食物を司る神とされる保食命(うけもちのみこと)と、国造りの神として知られる大己貴命(おおなむちのみこと)です。

「汁守」という、ちょっと珍しい名前

この神社を訪れてまず気になるのが、「汁守」という珍しい名前ではないでしょうか。

その由来は、遠く武蔵国の総社である大國魂神社につながっています。

かつて大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」において、神様に供える食事「御饌(みけ)」のうち、汁物を奉納する役目を担っていたと伝えられています。

そこから「汁盛(しるもり)」、そして「汁盛明神」と呼ばれるようになり、現在の「汁守神社」という名につながったとされています。

かつて隣接する旧多摩郡真光寺村には、御饌のうち御飯を奉納していた飯守神社がありました。

汁を受け持つ「汁守」と、飯を受け持つ「飯守」。

両社はともに大國魂神社の例大祭で食事を奉納する「膳部(かしわでべ)」として、重要な役割を担っていたと考えられています。

境内に残る、江戸から明治の面影

創建年代は明らかになっていませんが、天明2年(1782年)には神像が造立され、社殿が再建されたと伝えられています。

正面の石段を上ると、境内には天保5年(1834年)建立の鳥居が迎えてくれます。

さらに現在の本殿と拝殿は、明治37年(1904年)から大正3年(1914年)にかけて、それぞれ独立した構造として新築されたもの。

また明治から大正にかけて、村内にあった八幡神社・八雲神社・日枝神社が合祀され、現在の「汁守神社」となりました。

境内の木々や古い鳥居を眺めながら歩けば、今からはるか昔、この地から武蔵国総社へと供物を届けた人々の姿まで、ふと想像したくなる神社です。


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川崎市まちの樹50選・ 長念寺「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号27・28

多摩区登戸・長念寺の公孫樹(イチョウ)

川崎市多摩区にある永池山長念寺。

その始まりは、大永2年(1522)に法専坊がこの地に草庵を築いたことに始まると伝えられています。

もともとは真言宗の寺院で、山号も当時の年号にちなみ「大永山」と称していました。

その後、文禄元年(1592)に、近くにあった三日月湖にちなみ「永池山」へと改められたといいます。

長念寺の歴史を語るうえで欠かせないのが、秀月禅尼という女性です。

秀月禅尼は、徳川家光に仕えた菅の領主・中根壱岐守平十郎正朝の母。

長念寺を深く信仰し、その庇護によって寺は大きく発展していきました。

徳川家によって本願寺が東西に分立された際、長念寺はいったん東本願寺に属することになります。

慶安2年(1649)、秀月禅尼の一周忌には、子の正朝によって本堂や山門、庫裏などが寄進されたと伝えられています。

しかし、門徒たちの思いは少し違っていました。

かつて大坂冬の陣・夏の陣の際には、門徒衆が自らの意思で豊臣方に加勢したという伝承も残されています。

時代の大きな流れの中にあっても、門徒たちは自分たちの信仰や寺とのつながりを大切にしていたのでしょう。

そうした門徒衆の強い願いを受け、元禄14年(1701)には西本願寺へ帰参。

現在まで浄土真宗本願寺派の寺院として続いています。

本堂、山門、庫裏はいずれも川崎市重要歴史記念物に指定され、江戸時代の寺院建築と境内の姿を今に伝えています。

本堂は文政7年(1824)に上棟され、庫裏もほぼ同じ時期に再建されたと考えられています。

山門は嘉永7年(1854)に上棟。

木造阿弥陀如来立像を本尊とする本堂を中心に、山門、庫裏が整然と配置された境内は、近世寺院の雰囲気を今に残しています。

登戸の街が大きく姿を変えていくなか、江戸の面影を残す建物と境内。

その静かな佇まいは、500年近くにわたる地域の歴史を、今にそっと伝えています。