川崎市まちの樹50選・指定番号8
高津区二子・二子神社の椋(ムクノキ)
川崎市高津区二子に鎮座する二子神社
かつては「神明社」と呼ばれていましたが、明治時代に大六天と稲荷を合祀し、地名にちなみ現在の社名となりました。
その起源は、江戸時代よりさらに遡ります。
地元に伝わる話によれば、戦国時代に武田家の旧臣・小山田兵部がこの地に住み、天照大御神を祀ったことが始まりとされています。
1641年(寛永18年)には、天照皇大神を守護神として祠が建立されたと伝えられています。
江戸時代になると、二子は多摩川の渡船場を擁する宿場町として発展。
二子神社はその鎮守として、旅人や商人など、町を行き交う多くの人々の信仰を集めてきました。
境内には、二子新地の歴史を感じさせる「出世稲荷」も祀られています。
1930年(昭和5年)、当時この地域で栄えていた「二子三業組合」によって伏見稲荷から勧請されたものです。
「三業」とは、芸妓置屋・待合・料亭の三業種を指す言葉。
二子新地では昭和30年代頃まで花街が盛んで、神社周辺にもその華やかな文化が息づいていました。
境内に建つ岡本かの子の文学碑
二子村の旧家・大貫家に生まれ、多摩川をこよなく愛した歌人・作家、岡本かの子。
そのゆかりの地であることから、多摩川を望むこの場所に文学碑が建てられました。
碑の中心となる大型の抽象彫刻「誇り」は、かの子の息子である芸術家・岡本太郎の作品。
築山を思わせる台座は建築家・丹下健三が設計し、1962年(昭和37年)に完成しました。
碑には、かの子の歌「としとしにわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」が刻まれているほか、亀井勝一郎が岡本かの子について記した文章を、川端康成の書で刻んだ碑も残されています。
宿場町として人々が行き交った二子の歴史と、花街の華やかな記憶。
そして、多摩川を愛した岡本かの子と、その息子・岡本太郎へとつながる芸術の物語。
二子神社は、静かな境内の中に、二子の町が歩んできた歴史と、多摩川沿いに育まれた文化をそっと刻んでいる神社です。





















