三田植木について

1965年、一本の木から始まった物語

「神武景気」から続く高度経済成長のまっただ中。1965年は次なる「いざなぎ景気」へと向かう転換期にあたります。街には新しい住宅や建物が増え、人々の暮らしも少しずつ豊かになっていった時代でした。

国土の7割近くを森林が占めている日本

日本の総面積は約37万8,000平方キロメートルで、そのうちの約67%が森林(約2,502万ヘクタールで、)です。>> 林野庁HP

ちなみに森林面積が多い都道府県は、1位北海道、2位岩手県、3位長野県で、少ない都道府県は、1位大阪府、2位東京都、3位香川県です。

昭和42年~45頃のモノクロ写真です!


1965年(73万人)と比べると、2025年時点で約156万人規模と推定される川崎市の人口。飛躍的に都市化が進んだ現代でも意外と木々は人々の暮らしのすぐそばにあるんです。




 時代が大きく動き始めた昭和40年(1965年)

三田植木が創業した昭和40年(1965年)の主な出来事
日韓基本条約調印
シンガポール独立
映画『サウンド・オブ・ミュージック』大ヒット
国産初の旅客機YS-11就航
富士山レーダー観測開始
旧ソ連の宇宙船「ボスホート2号」人類初の船外活動(EVA)成功
プロレス中継(WWA世界選手権・豊登×デストロイヤー)戦で視聴率51.2%を記録
プロ野球第1回ドラフト会議(巨人・堀内恒夫、近鉄・鈴木啓示投手)を指名

そんな1965年には、日本だけでなく世界でも、後の歴史に残るさまざまな出来事がありました。

空を見上げれば、国産初の旅客機YS-11が就航し、富士山では富士山レーダーによる観測が始まりました。

そして宇宙では、旧ソ連の宇宙船「ボスホート2号」によって、人類初の船外活動(EVA)が成功。

日本と韓国の国交正常化に向けて日韓基本条約が調印され、同じ年にはシンガポールが独立。

映画では『サウンド・オブ・ミュージック』が大ヒットし、テレビではプロレス中継が驚異的な視聴率を記録するなど、娯楽の世界も大きな盛り上がりを見せていました。

スポーツ界では、現在につながるプロ野球の第1回ドラフト会議が行われ、巨人が堀内恒夫、近鉄が鈴木啓示を指名。

そんな時代に、三田植木は産声を上げました。

 世の中が大きく変わり始めていた1965年

家が建ち、庭に一本の木を植え、育て、手入れをする。

街が形成され、各々の庭で育った木が季節の景色をつくっていく。


三田植木は、そんな「暮らしの中の緑」と向き合いながら歩みを始めました。

あれから長い年月が流れ、街の風景も、人々の暮らしも大きく変わりました。

それでも、木を植え、育て、次の世代へつないでいくという仕事の本質は変わりません。

一本の木から始まった物語。その歩みは、これからも街の緑とともに続いていきます。



会社名 有限会社三田植木
代表者 三田伸裕
住所 〒213-0035
神奈川県川崎市高津区向ヶ丘61-3
創業 昭和40年4月1日
許可登録 造園工事業 県知事許可(般-2)第57330号
事業内容 一般造園業 植栽、設計、施工、管理、垣根、池作り、石据え、他
公共造園業 植栽、外構工事、管理、他
資格免許 一級造園設計士 一級造園技能士 二級造園施工管理技師
従業員数 5人
取引銀行等 三井住友銀行
世田谷信用金庫
セレサ川崎農業協同組合
川崎信用金庫