川崎市まちの樹50選

みなさんも、ご近所の「まちの樹」を探してみませんか?

川崎市では、「緑の基本計画」に基づき、緑豊かで暮らしやすいまちづくりを進めています。

1973年からは、歴史や命の大切さを伝える貴重な木を「保存樹木」として指定し、大切に守ってきました。

その後、2000年に条例が整備され、新たに「まちの樹」という制度がスタート。

市民のみなさんから、地域で親しまれている木や、伝承・歴史を持つシンボルツリーを募集し、専門家などによる選定を経て、2003年に50本が「まちの樹」に選ばれました。

地域で愛され続ける木々を守りながら、“緑あふれる川崎”を目指すとともに、ふるさとへの愛着を育んでいこう――。

「まちの樹」って、どんな木?

川崎市では、地域の人々に親しまれ、大切にされている樹木を「まちの樹」として指定しています。

選定の対象となるのは、例えば次のような木です。

地域のシンボルとなっている木
 街の目印や地域の象徴として親しまれ、良好な景観づくりに役立っている木。

ひときわ大きく成長した木
 長い年月をかけて育った巨樹や、地域を代表する大きな木。

姿かたちに特徴のある木
 樹形が美しい、枝ぶりが見事など、見る人の目を引く木。

地域の伝承や歴史に結びつく木
 言い伝えや地域の歴史が残されているなど、土地の記憶を伝える木。

珍しく、価値のある木
 数が少ない樹種や、地域では貴重とされる特色のある木

こうした木の中から、市民からの推薦を受けて選ばれた50本が「まちの樹」に指定されています。

つまり、単に「大きな木」だから選ばれるのではありません。

その木が地域の景観をつくっているか、歴史や伝承を伝えているか、姿や大きさに特色があるか――。

一本の木が持つさまざまな価値を、地域の財産として認める制度なのです。


そんな思いを込めてまとめられたのが「川崎市まちの樹50選」です。

川崎市HP 川崎市まちの樹50選
https://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000018370.html

川崎市まちの樹50選・川崎大師平間寺「クスノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号2

川崎区・川崎大師平間寺のクスノキ(楠)

日本屈指の厄除け霊場川崎大師平間寺

名称: 金剛山 金乗院 平間寺(通称:川崎大師)
御本尊: 厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)
宗派: 真言宗 智山派(総本山:京都東山七条・智積院)
開創: 大治3年(1128年)
開基 / 功徳主: 尊賢上人(そんけんしょうにん) / 平間兼乗(ひらまかねのり)

奇跡の引き揚げ劇から始まった「厄除けのお大師さま」

成田山新勝寺、髙尾山薬王院と並び、真言宗智山派の「大本山」として尊ばれる川崎大師。

その歴史は平安時代末期、ひとりの武士の苦難から始まります。

無実の罪で故郷を追われ、川崎で漁師として暮らしていた平間兼乗。

彼が42歳の厄年を迎えたある夜、夢枕に高僧が立ちました。

「かつて唐で自ら彫り、海に流した像がある。早く網で引き揚げ、供養しなさい。さすれば災厄は転じて福徳となるであろう」

お告げ通りに海へ網を打つと、まばゆく光り輝く弘法大師の木像が引き揚げられました。

兼乗がささやかな草庵で毎日欠かさず供養を捧げていると、やがて諸国を旅していた高野山の高僧・尊賢上人が立ち寄ります。

由緒に深く感動した上人は、兼乗とともに寺院を建立。兼乗の姓から**「平間寺(へいけんじ)」**と名付けました。

その後、お大師さまのご加護により兼乗の無実の罪は晴れ、見事に故郷へ帰ることができたのです。

将軍も参詣! 江戸っ子を魅了したパワースポット

日本に真言密教をもたらしたお大師さまは、「私の姿(形相)を見る者、教えを聞く者を決して見捨てない」という強い誓願を残されました。

現代を生きる私たちにとっても、大きな心のよりどころです。

境内の楽しみ方&見どころ

大本堂を中心とした堂々たる七堂伽藍はもちろん、戦災を免れた貴重な「稲荷堂」など、境内にはご利益あふれるスポットが点在しています。


高津区二子・二子二丁目公園「ヒマラヤスギ」

川崎市まちの樹50選・番外編

大貫家の記憶を伝える一本のヒマラヤスギ

川崎市高津区二子の住宅街に、こぢんまりとした二子二丁目公園があります。


現在は地域の人々が憩う身近な公園ですが、ここはかつて、二子を代表する豪商・大貫家の屋敷があった場所。

大貫家は、江戸時代に屋号を「大和屋」と称し、幕府や諸大名の御用商人として栄えた豪商です。

公園の一角にそびえる大きなヒマラヤスギが、往時の屋敷の面影を今に伝えています。

大貫家は、歌人・作家として知られる岡本かの子の生家

公園には「大貫家の人々」と題した川崎歴史ガイドの案内板も設置され、二子の地から羽ばたいた文学者・芸術家たちの足跡を伝えています。

かの子は旧姓を大貫かの子といい、この二子の地で生まれ育ちました。

その息子が、後に日本を代表する芸術家となる岡本太郎です。

また、大貫家には文学の才能に恵まれた人物がもう一人いました。

かの子の兄、大貫雪之助(晶川)です。

雪之助は若くして文学の道に進み、谷崎潤一郎らとともに文学活動を行うなど、将来を大きく期待された青年でした。

しかし、その才能を十分に開花させることなく、1912年(大正元年)、25歳という若さでこの世を去っています。

その墓碑は、現在も近くの光明寺境内に残されています。


こうして見ていくと、二子二丁目公園は、単なる住宅街の公園ではありません。

現在の公園は小さな空間ですが、そこに立つ一本のヒマラヤスギは、かつてこの場所に広がっていた大貫家の屋敷を想像させてくれます。


川崎市まちの樹50選・東林寺「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号39

麻生区上麻生・東林寺の公孫樹(イチョウ)

境内に立つ樹齢300年以上ともいわれる大銀杏

幾世代もの人々を見守ってきた、東林寺のシンボルともいえる存在です。

東林寺・麻生山修廣寺

東林寺は曹洞宗の寺院で、その歴史は関ヶ原の戦い以前にまで遡ると伝えられています。

山号を麻生山といい、開山は修廣寺4世の月秋文伯大和尚。慶長4年(1599年)寂。

静かな境内に足を踏み入れると、長い年月を感じさせる本堂が迎えてくれます。

本堂内陣には、堅固な須彌壇(しゅみだん)が設けられ、薬師如来立像、釈迦如来像、十一面観音像などが安置されています。

寺から始まった、地域の学び

東林寺の歴史を語るうえでもう一つ興味深いのが、地域の教育とのつながりです。

明治5年(1872年)、新しい学制が公布されると、この寺に「上麻生学舎」が開かれました。

寺院が地域の信仰の場であるだけでなく、子どもたちが学ぶ場所としても役割を担っていたのです。


川崎市まちの樹50選・東生田緑地「ウワミズザクラ」

川崎市まちの樹50選・指定番号31

多摩区枡形・東生田緑地の上溝桜(ウワミズザクラ)

東生田自然遊歩道沿いに立つ、ちょっと不思議な桜

東生田自然遊歩道を歩いていると、道沿いに立つ一本のウワミズザクラが目に留まります。

よく見ると、この木は一本ではないようです。

2本の幹が寄り添うように伸び、そのまま重なり合っているのです。

枝も複雑に絡み合い、どちらの幹から伸びた枝なのか、見分けるのが難しいほど。

長い年月をかけて2本の木が隣り合いながら成長してきた姿には、どこか不思議な一体感があります。

春には、白い花を咲かせる?

未だ実物を見た事がないのですが、ウワミズザクラは、一般的なサクラとは少し違った花を咲かせるそうです。

春になると、枝先から白い花が房状に伸び、緑の中に浮かび上がるように咲くとか。

東生田自然遊歩道周辺は、川崎市が紹介する「野鳥と古寺を訪ねる」散策コースの一部。東生田緑地などの豊かな自然に囲まれた道です。

普段歩いていると見過ごしてしまいそうな木ですが、花の季節にはきっと、この2本の幹がつくり出す独特の姿がさらに印象的に見えることでしょう。

例年4月中旬ごろに開花するとのこと。

今回は花のない時期に訪れましたが、いつか花の咲く頃にもう一度、このウワミズザクラを訪れてみたいと思います。


川崎市まちの樹50選・稲毛神社「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号01

稲毛神社の大イチョウ(公孫樹)

樹齢一千年といわれる御神木

江戸時代から「山王様の大銀杏」として人々に親しまれてきたこの木は、長い年月にわたり、川崎の街とそこに暮らす人々を見守ってきました。

御神木大銀杏十二支巡り

その大きな幹の周囲を願い事をしながら回ると、縁結び、子授け、子育て、学問や稽古事の上達などにご利益があると伝えられています。

武将たちの祈りを見守った古社


稲毛神社の創建年代は定かではありません。

しかし、境内に立つ大銀杏の存在は、この神社が長い歴史を歩んできたことを静かに物語っています。

社伝によれば、その始まりは古代にまで遡り、東国の争乱の中で武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀ったことが起源とされています。

その後も、武家から篤い信仰を集めました。

鎌倉時代には源頼朝の命によって佐々木高綱が社殿を造営したと伝えられ、さらに大般若経600巻が奉納されるなど、武将たちの信仰を集める神社として発展していきます。

そして江戸時代。

徳川家康や天海僧正からの寄進を受け、川崎宿と周辺の村々を守る鎮守として、さらにその存在感を増していきました。

「東の祇園」と呼ばれた祭り

東海道の宿場町として川崎宿が賑わいを見せるようになると、稲毛神社もまた人々の暮らしの中で重要な場所となります。

毎年6月15日に行われる例大祭、「河崎山王まつり」は大きな賑わいを見せ、その盛況ぶりから「東の祇園」とも称されました。

旅人が行き交い、商人が集まり、祭りの日には多くの人々で賑わった川崎宿。

その光景を、この大銀杏はどれほど長い間、見つめてきたのでしょう。

千年の木が語る、川崎の記憶


武将たちの祈り。
東海道を行き交う旅人。
川崎宿の賑わい。
そして、時代とともに変わりゆく街の姿。

そのすべてを、大銀杏は言葉もなく見守ってきました。

春には新緑、夏には深い緑、秋には黄金色の葉をまとい、季節が巡るたびに姿を変える大銀杏。

けれど、その根は変わることなく、この場所にあり続けています。

千年という歳月は、一本の木にとっては一つの生命の時間。

その木の前に立ち、太い幹を見上げていると、川崎の街が歩んできた長い歴史が、年輪の向こう側から静かに語りかけてくるようです。


川崎市まちの樹50選・坂戸ケヤキ

川崎市まちの樹50選・指定番号12

高津区坂戸・欅(ケヤキ)

企業の敷地に残る、大きな欅

かながわサイエンスパークの隣には、精密測定機器を製造する企業の広大な敷地があります。

その一角でひときわ目を引くのが、堂々と枝を広げる大きな欅(ケヤキ)です。

人の手によって整えられたというよりも、長い年月をかけて自然のままに成長したような、美しい樹形を保つ姿。

その大きさと存在感は、周囲の建物とは対照的でありながら、不思議なほど景観に溶け込んでいます。

精密機器を生み出す企業の敷地に、これほど大きな樹木が大切に残されていることは、単なる緑地以上の意味を感じさせます。

技術の発展と自然との共存。

この一本の欅は、企業が長い年月にわたって環境を大切にしてきた姿勢を、静かに物語っているようです。


川崎市まちの樹50選・ 泉福寺「サルスベリ」

川崎市まちの樹50選・指定番号17

宮前区馬絹・泉福寺の百日紅(サルスベリ)

静かに佇む、天台宗の寺院泉福寺

寺の創建について詳しいことは分かっていませんが、過去帳によれば、義天法印によって開基されたと伝えられています。

その後、智賢法印によって中興され、現在の住職で30世を数えます。

本堂は1847年(弘化4年)、老朽化に伴って建て替えられたもの。

江戸時代から続く建物が、現在も境内の落ち着いた風景を形づくっています。

境内には樹齢約450年とされるサルスベリをはじめ、四季折々の草花が彩りを添えています。

春の芽吹きから夏の緑、秋の紅葉、そして冬の静けさまで、訪れる季節によって異なる表情を楽しめるのも泉福寺の魅力です。

江戸の賑わいを今に伝える泉福寺の絵馬

泉福寺には、江戸時代末の馬絹の風景を今に伝える、貴重な板面着色絵馬が秘蔵されています。

1857年(安政4年)制作の「泉福寺境内相撲図」

泉福寺の境内で行われた奉納相撲の様子が生き生きと描かれています。

当時の泉福寺は、信仰の場であると同時に、人々が集い、祭りや行事を楽しむ地域の交流の場でもあったのでしょう。

「泉福寺境内相撲図」は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。


川崎市まちの樹50選・ 泉福寺「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号16

宮前区馬絹・泉福寺の公孫樹(イチョウ)

川崎市宮前区馬絹に静かに佇む、天台宗の寺院泉福寺。

境内へ足を踏み入れると、まず目を奪われるのが、樹齢800年とも伝えられる大イチョウです。

長い年月を生きてきたその姿は圧倒的な存在感を放ち、まるで寺の歴史そのものを物語るかのように、訪れる人を迎えてくれます。

花を育て、花を弔う土地の記憶

川崎市宮前区馬絹では、東京や横浜といった大都市に近い立地を生かし、古くから花卉(かき)栽培が盛んに行われてきました。

なかでも特徴的なのが、梅・桃・桜など枝物の栽培です。

出荷する時期に合わせて花を咲かせるため、かつては「室(むろ)」と呼ばれる貯蔵用の穴に枝を保管し、開花時期を調整する工夫が行われてきました。

また、花芽を傷めたり落としたりしないよう枝を束ねる「枝折(しおり)」という技術も、現在まで受け継がれています。

こうした馬絹独自の花づくりは、単なる農業技術ではありません。

都市近郊という土地の条件を生かしながら、長い年月をかけて培われてきた地域の生業そのものなのです。

そして、馬絹には花を「育てる」だけでなく、花に「感謝する」文化も残されています。

毎年8月17日には、花への感謝と、その霊を慰めるための花供養祭が行われています。

2018年には、節目となる第100回を迎えました。

泉福寺の境内に建つ花供養塔も、この地域の花卉栽培の歴史を伝える大切な存在です。

塔は、大正10年(1921年)に設立された馬絹花卉生産組合によって、1963年(昭和38年)に建立されました。

華やかな花を生み出してきた馬絹の農家たち。

その陰には、季節や天候と向き合い、枝一本、花芽ひとつを大切に扱ってきた人々の営みがありました。

現在では住宅地が広がる馬絹ですが、泉福寺を訪ね、境内の大イチョウや花供養塔を眺めていると、かつてこの地域に広がっていた花畑の風景が、少しずつ浮かび上がってくるようです。

江戸の賑わいを今に伝える泉福寺の絵馬

泉福寺には、江戸時代末の馬絹の風景を今に伝える、貴重な板面着色絵馬が秘蔵されています。

1854年(嘉永7年)に制作された「泉福寺薬師会図」。

絵の中には、境内にそびえる大イチョウと薬師如来像、そして大勢の参拝者で賑わう様子が描かれています。

当時の泉福寺は、信仰の場であると同時に、人々が集い、祭りや行事を楽しむ地域の交流の場でもあったのでしょう。

「泉福寺薬師会図」は、川崎市重要歴史記念物に指定されています。