川崎市まちの樹50選・東光院「カキノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号48

麻生区岡上・東光院の柿の木(カキノキ)

徳川家光から与えられた寺領

江戸時代になると、東光院は幕府からも寺院として認められることになります。

徳川家光から寺領15石の御朱印状を受領したと伝えられており、当時の東光院が地域の信仰を支える寺院として存在していたことがうかがえます。

鎌倉道にも近い岡上の地で、東光院は人々の往来と信仰を見守りながら、長い年月を重ねてきました。

本尊は大日如来。

宗派は真言系です。

境内には仁王門や鐘楼堂をはじめ、瘡守稲荷、蚕影山祠堂跡などが残されています。

仁王門では、左右に力強い仁王像が立ち、その背面には六地蔵。門の階上には阿弥陀三尊を中心に、十王などが安置されています。

本堂には、寺の縁起に登場する兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)も安置されています。

さらに、昭和15年(1940年)、堰の改修工事中に水深約1メートルの用水路から発見されたという板碑も伝わっています。

こうした仏像や石造物をたどっていくと、東光院が長い年月にわたって地域の信仰を受け継いできたことが感じられます。


川崎市まちの樹50選・東生田緑地「ウワミズザクラ」

川崎市まちの樹50選・指定番号31

多摩区枡形・東生田緑地の上溝桜(ウワミズザクラ)

東生田自然遊歩道沿いに立つ、ちょっと不思議な桜

東生田自然遊歩道を歩いていると、道沿いに立つ一本のウワミズザクラが目に留まります。

よく見ると、この木は一本ではないようです。

2本の幹が寄り添うように伸び、そのまま重なり合っているのです。

枝も複雑に絡み合い、どちらの幹から伸びた枝なのか、見分けるのが難しいほど。

長い年月をかけて2本の木が隣り合いながら成長してきた姿には、どこか不思議な一体感があります。

春には、白い花を咲かせる?

未だ実物を見た事がないのですが、ウワミズザクラは、一般的なサクラとは少し違った花を咲かせるそうです。

春になると、枝先から白い花が房状に伸び、緑の中に浮かび上がるように咲くとか。

東生田自然遊歩道周辺は、川崎市が紹介する「野鳥と古寺を訪ねる」散策コースの一部。東生田緑地などの豊かな自然に囲まれた道です。

普段歩いていると見過ごしてしまいそうな木ですが、花の季節にはきっと、この2本の幹がつくり出す独特の姿がさらに印象的に見えることでしょう。

例年4月中旬ごろに開花するとのこと。

今回は花のない時期に訪れましたが、いつか花の咲く頃にもう一度、このウワミズザクラを訪れてみたいと思います。


>>害虫の発生に気づくためのポイント


川崎市まちの樹50選・丸山教本庁「クスノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号26

多摩区登戸・丸山教本庁 楠(クスノキ)

川崎市多摩区登戸にある丸山教本庁の境内には、ひときわ大きなクスノキが立っています。

その昔、登戸を通る「江戸道」と呼ばれた津久井道からも、その姿を望むことができたといいます。

道を行き交う人々にとって、この大きなクスノキは遠くからでも目に入る存在。

いつしか地域の目印となり、登戸の風景の一部として親しまれてきました。

長い年月を重ね、季節ごとに葉を茂らせながら、境内を訪れる人々を静かに迎えてきたクスノキ。

街の姿が変わり、道を行き交う人々の暮らしが変わっても、変わらぬ場所に立ち続けるその姿には、登戸の昔と今をつなぐ「街の記憶」が感じられます。

川崎市まちの樹50選・丸山教本庁「フジ」

川崎市まちの樹50選・指定番号25

多摩区登戸・丸山教本庁 藤(フジ)

多摩区登戸にある丸山教本庁。

その境内には、樹齢約120年と伝えられる藤の古木があります。

「丸山の六尺藤」と呼ばれ、地域の人々に親しまれてきたこの藤。

毎年、花の季節になると、藤棚いっぱいに紫色の花房を垂らし、訪れる人の目を楽しませてくれます。

長い年月を重ねてきた藤は、まるで境内の歴史を静かに見守ってきたかのよう。風に揺れる花房からは、やわらかな香りが漂い、境内全体が穏やかな春の空気に包まれます。

その美しさをひと目見ようと、遠方から訪れる人もいるという「丸山の六尺藤」。

登戸の街の一角で、毎年変わらぬように花を咲かせながら、季節の訪れとともに、長い年月の記憶を今に伝えています。


全国都市緑化かわさきフェア基本・実施計画

〈将来像〉みどりでつなげる、暮らしやすく住み続けたいまち

『全国都市緑化かわさきフェア基本・実施計画』 (令和5(2023)年8月29日)

〈基本方針〉

ア 川崎の多様なみどりの“力”を感じるフェア
・生物多様性や都市が抱える様々な課題の解決につながるグリーンインフラの持つ多様な機能や効果の発信
・身近なみどりやオープンスペースを活用して、市民一人ひとりがいきいきと居心地よく活動できる空間の創出

イ 先端技術で新たな都市緑化の“形”をつくるフェア
・ フェアを通じて川崎の持つ最先端の技術、アイデアによる新しい都市緑化の実現
・ 市民一人ひとりのライフスタイルに応じた新しい公園の使い方の提案

ウ 多様なみどりでつなげる“行動”を生み出すフェア
・市民、企業等が気軽に集い、新たな出会いやつながりを生みだす場づくり
・多様な主体がつながり、みどりに関わる様々な取組を継続・発展しながら、川崎のみどりの新たな価値を生み出していく仕組みづくり

エ 環境・社会・経済的価値を同時に実現できる“社会”を示すフェア
・これまで培ってきた強みを活かして、SDGsの達成や脱炭素社会の実現に向けた、川崎のみどりが持つ多様なポテンシャルの発信

オ 川崎らしい多様性あふれる“文化”を育むフェア
・川崎の歴史とともに、地域への愛着を持った市民が暮らしの中でみどりと関わり、多様な文化を育む機会を創出


川崎市まちの樹50選・千代ヶ丘9丁目「タブノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号43

麻生区千代ヶ丘・千代ヶ丘9丁目の椨の木(タブノキ)

樹齢800年ともいわれるタブノキ、通りに面した民家の敷地入口に、まるで門番のように堂々と立っています。

800年の時を刻む、威風堂々のタブノキ

伝承によれば、所有者のご先祖は、楠木正成の一族に繋がるとされ、足利幕府に追われこの地へ移り住んだそうです。

それが今からおよそ500年前。

そして、その頃にはすでに、この場所にこのタブノキが立っていたのだとか。

長い年月を生き抜いてきた幹は太く、枝を大きく広げたその姿は圧巻。

住宅街の一角にありながら、ひと目見ただけで思わず足を止めてしまうほどの存在感があります。

風雨にさらされ、幾度もの季節を越えてきた樹皮には、悠久の時が刻まれているかのよう。

幾世代もの人々の暮らしを見守り、周囲の景色が変わっていく中でも、ただ静かに立ち続けてきた一本の木。

800年という歳月を想像しながらその姿を見上げると、一本の巨木が、この土地の歴史そのものに見えてきます。


川崎市まちの樹50選・ 末長「江戸見桜・大島桜」

川崎市まちの樹50選・指定番号6

高津区末長の「江戸見桜・オオシマザクラ」


大山詣りの目印

伊勢原の大山は、別名「雨降山(あふりやま)」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣、さらには商売繁盛の御利益がある山として古くから人々の信仰を集めてきました。

江戸時代に流行した「大山詣り」は、関所を通る必要がなく、気軽に出かけられる旅として人気を集めました。

参拝の帰りには、江の島や金沢八景などの名所に立ち寄って観光を楽しむ人も多く、まさに信仰とレジャーを兼ねた旅だったようです。

江戸の人口が約100万人だった時代に、年間20万人もの参拝者が訪れたと伝えられており、その人気ぶりがうかがえます。

「大山街道からの目印」、或いは「この場所から江戸が見える」という事から「江戸見桜」と呼ばれるようになったそうです。

条件が整えば、ここからスカイツリーや東京タワーも眺望できます


高津区久本・ターザンの木(スダジイ)

川崎市まちの樹50選・番外編

高津区久本のターザンの木(スダジイ)

昭和の子どもたちが遊んだターザンの木

川崎市まちの樹50選に選ばれた 江戸見桜 から直ぐ先に「ターザンの木」と呼ばれているスダジイの巨木があります。

そこに、地元の人々から「ターザンの木」と呼ばれているスダジイの巨木があります。

名前の由来を尋ねてみると、話は昭和30年代まで遡ります。

今のようにテレビゲームもパソコンもなく、子どもたちの遊びといえば、外へ出て友達と走り回るのが当たり前だった時代。

当時、子どもたちの間で人気を集めていたのが、ジャングルを舞台に活躍する「ターザン」でした。

このスダジイには、ちょうど子どもたちが遊べるような枝があり、ターザンになったつもりでぶら下がって遊んだといいます。

未就学児から小学生、時には中学生や高校生まで、年齢の違う子どもたちが集まり、放課後になると自然とこの木の周りに仲間が集まったそうです。

いつしか、「あの木で遊ぼう」「ターザンの木に集合!」と。

そんな呼び方が定着し、現在の名前になったと地元の方は話してくれました。

木が残した、昭和の記憶

「ターザンの木」という名前には、単なる遊び場の呼び名以上のものが込められています。

それは、一本の木を中心に子どもたちが集まり、遊び、笑い声を響かせていた昭和の風景です。

ちなみに、当時のターザン人気を支えたのが、アメリカの競泳金メダリストから俳優へ転身したジョニー・ワイズミュラーです。

彼が主演したターザン映画は1932年から1949年にかけて13作品が制作されるほどの人気シリーズでした。

そんな時代の空気が、この一本のスダジイに「ターザン」という名前を残したのかもしれません。

今では、蔦にぶら下がる子どもたちの姿を見ることは少なくなりましたが、それでも、長い年月を生きてきたスダジイは、変わらずこの場所に立っています。

川崎市まちの樹50選・登戸稲荷社「クスノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号30

多摩区登戸・登戸稲荷社の楠(クスノキ)

精巧な漆喰彫刻

古くからこの地の人々に「登戸稲荷社」として親しまれ、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全の神様として厚い信仰を集めてきました。

長い年月を経た社殿を眺めていると、まず目を引くのが、外壁を彩る精巧な漆喰彫刻です。

漆喰を盛り上げ、鏝(こて)を使って立体的に仕上げる「鏝絵(こてえ)」と呼ばれる技法で、龍や狐などが描かれています。江戸時代の左官職人たちが、建物の壁を単なる外壁ではなく、一つの作品へと仕立て上げたものです。

拝殿にも見どころは多く、木鼻に巻き付く迫力ある龍や、扉に施された獅子の透かし彫りなど、細部にまで職人の技が凝縮されています。

側面には三国志の武将・高覧、脇障子には八岐大蛇退治の神話や猿の姿なども刻まれ、それぞれの彫刻が物語を持っています。

かつての社殿は茅葺きでしたが、昭和28年に瓦葺きへと改められました。時代とともに姿を変えながらも、江戸時代の職人たちが残した技は、今も社殿の随所に息づいています。

多摩川の洪水や風雨、そして関東大震災など幾度もの災害をくぐり抜けてきた登戸稲荷社。

そこに残されているのは、ただ古い建物だけではありません。

漆喰の壁に刻まれた龍や狐、木々の間に佇む社殿。その一つひとつから、信仰を守ってきた地域の人々と、それに応えようと腕を振るった職人たちの思いが伝わってきます。

登戸稲荷社は、登戸の歴史を伝える神社であると同時に、江戸の職人文化を今に伝える貴重な場所でもあります。


川崎市まちの樹50選・登戸稲荷社「ケヤキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号29

多摩区登戸・登戸稲荷社のケヤキ(欅)

川崎市多摩区登戸に鎮座する登戸稲荷社。古くからこの地の人々に「登戸稲荷社」として親しまれ、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全の神様として厚い信仰を集めてきました。

御祭神は、穀物や食物を司る宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)。

「宇迦魂大神」や「倉稲魂命」とも表記され、一般に稲荷神として知られる神様です。

その起源ははっきりしていませんが、戦国時代、武田家の家臣だった吉沢兵庫という武士が登戸の地に帰農し、邸内の鎮守として祀ったことが始まりと伝えられています。

その後、登戸村小名東耕地の鎮守として地域の人々に大切にされてきました。

しかし、この神社もまた、多摩川とともに歩んできた歴史があります。

安土桃山時代の天正18年(1590)には、多摩川の大洪水によって社殿が流失。その後、旧屋敷の敷地を譲り受けて再建されました。さらに江戸時代後期には嵐によって社殿が損傷し、再び修復・再建されています。

現在の社殿は嘉永6年(1853)に再建されたもの。