川崎市まちの樹50選・東林寺「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号39

麻生区上麻生・東林寺の公孫樹(イチョウ)

境内に立つ樹齢300年以上ともいわれる大銀杏

幾世代もの人々を見守ってきた、東林寺のシンボルともいえる存在です。

東林寺・麻生山修廣寺

東林寺は曹洞宗の寺院で、その歴史は関ヶ原の戦い以前にまで遡ると伝えられています。

山号を麻生山といい、開山は修廣寺4世の月秋文伯大和尚。慶長4年(1599年)寂。

静かな境内に足を踏み入れると、長い年月を感じさせる本堂が迎えてくれます。

本堂内陣には、堅固な須彌壇(しゅみだん)が設けられ、薬師如来立像、釈迦如来像、十一面観音像などが安置されています。

寺から始まった、地域の学び

東林寺の歴史を語るうえでもう一つ興味深いのが、地域の教育とのつながりです。

明治5年(1872年)、新しい学制が公布されると、この寺に「上麻生学舎」が開かれました。

寺院が地域の信仰の場であるだけでなく、子どもたちが学ぶ場所としても役割を担っていたのです。


川崎市まちの樹50選・東光院「イトヒバ」

川崎市まちの樹50選・指定番号46

麻生区岡上・東光院の糸桧葉(イトヒバ)

「光る丘」に始まった、岡上の古刹

川崎市麻生区岡上にある、岡上山東光院宝積寺(おかのぼりさんとうこういんほうしゃくじ)。

創建年代ははっきりしていませんが、江戸時代に編まれた『新編武蔵風土記稿』には、天正年間(1573~1592年)までに開山・開基から数えて十一代に及んでいたと記されています。

その歴史の古さを物語るように、この寺には興味深い縁起が伝えられています。

光る丘で見つかった毘沙門天

伝承によれば、かつて行基菩薩が関東へ下った際、鶴見川の川岸から不思議な光が見えたといいます。

その光を目指していかだを降り、丘へ上がった行基は、光っている丘の北側を掘りました。

すると、そこから姿を現したのが毘沙門天像。

行基はその毘沙門天を祀るために草庵を結び、これが東光院の始まりになったと伝えられています。

東光院を訪れたなら、ぜひ知っておきたいのが寺宝の木造兜跋毘沙門天立像(もくぞう とばつびしゃもんてんりゅうぞう)です。

兜跋毘沙門天は、通常の毘沙門天とは異なり、地天(ちてん)の両手の上に立つ姿で表される、特徴的な毘沙門天です。

「光る丘」にまつわるこの伝承は、現在の寺名「東光院」の由来を思わせる、印象的な物語です。


川崎市まちの樹50選・東光院「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号47

麻生区岡上・東光院の公孫樹(イチョウ)

豊かな木々に包まれた境内

その中でも、イトヒバ、イチョウ、カキノキの三本は、川崎市選定の「まちの樹50選」に選ばれています。

長い歴史を持つ寺院では、建物だけでなく、そこに根を張る木々もまた、境内の記憶を受け継ぐ存在です。

季節ごとに姿を変える木々を眺めながら境内を歩けば、古い仏像や板碑とともに、この場所で積み重ねられてきた時間を感じることができます。

川辺で見つけられたという「光る丘」と、そこから現れた毘沙門天。

そんな物語が長い年月を越えて語り継がれていること自体が、この土地に刻まれた歴史の一つなのかもしれません。

岡上の静かな丘に佇む東光院。

その境内に立つ古木を見上げながら歩けば、遠い昔、この地に草庵が結ばれた頃の風景に、少しだけ思いを馳せることができます。


川崎市まちの樹50選・東光院「カキノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号48

麻生区岡上・東光院の柿の木(カキノキ)

徳川家光から与えられた寺領

江戸時代になると、東光院は幕府からも寺院として認められることになります。

徳川家光から寺領15石の御朱印状を受領したと伝えられており、当時の東光院が地域の信仰を支える寺院として存在していたことがうかがえます。

鎌倉道にも近い岡上の地で、東光院は人々の往来と信仰を見守りながら、長い年月を重ねてきました。

本尊は大日如来。

宗派は真言系です。

境内には仁王門や鐘楼堂をはじめ、瘡守稲荷、蚕影山祠堂跡などが残されています。

仁王門では、左右に力強い仁王像が立ち、その背面には六地蔵。門の階上には阿弥陀三尊を中心に、十王などが安置されています。

本堂には、寺の縁起に登場する兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)も安置されています。

さらに、昭和15年(1940年)、堰の改修工事中に水深約1メートルの用水路から発見されたという板碑も伝わっています。

こうした仏像や石造物をたどっていくと、東光院が長い年月にわたって地域の信仰を受け継いできたことが感じられます。


川崎市まちの樹50選・千代ヶ丘9丁目「タブノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号43

麻生区千代ヶ丘・千代ヶ丘9丁目の椨の木(タブノキ)

樹齢800年ともいわれるタブノキ、通りに面した民家の敷地入口に、まるで門番のように堂々と立っています。

800年の時を刻む、威風堂々のタブノキ

伝承によれば、所有者のご先祖は、楠木正成の一族に繋がるとされ、足利幕府に追われこの地へ移り住んだそうです。

それが今からおよそ500年前。

そして、その頃にはすでに、この場所にこのタブノキが立っていたのだとか。

長い年月を生き抜いてきた幹は太く、枝を大きく広げたその姿は圧巻。

住宅街の一角にありながら、ひと目見ただけで思わず足を止めてしまうほどの存在感があります。

風雨にさらされ、幾度もの季節を越えてきた樹皮には、悠久の時が刻まれているかのよう。

幾世代もの人々の暮らしを見守り、周囲の景色が変わっていく中でも、ただ静かに立ち続けてきた一本の木。

800年という歳月を想像しながらその姿を見上げると、一本の巨木が、この土地の歴史そのものに見えてきます。


川崎市まちの樹50選・細山神明社「クスノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号45

麻生区細山・細山神明社の楠(クスノキ)

多摩丘陵の細長い山々が連なる土地。丘陵の坂に佇む、細山神明社

その地形から「細山(ほそやま)」と呼ばれるようになったこの地域に、静かに鎮座する神社があります。

天照大神を祀る細山神明社です。

境内の鳥居脇には、樹齢数百年ともいわれる大きなクスノキが悠然と立っています。

長い年月を重ねた幹を眺めていると、この土地の歴史をずっと見守ってきたような風格を感じさせます。

神明社は、言い伝えによれば鎌倉時代に祀り始められたとされ、明治6年(1873年)には細山村の村社となりました。

さらに明治44年には、細山村や金程村の周辺にあった稲荷社、杉山社、秋葉社、春日社などが合祀され、地域の信仰を集める神社となっていきました。

「逆さ大門」に秘められた不思議な伝説

全国でも珍しい「逆さ大門」

細山神明社を訪れたなら、ぜひ注目したいのが、神社へ向かう参道の不思議な造りです。

一般的な神社では、鳥居をくぐると坂や石段を上り、社殿へ向かいます。

ところが細山神明社は、その反対。

鳥居が丘の上にあり、そこから坂を下った先に社殿があるのです。

この珍しい造りから、細山神明社は関東に三社あるといわれる「逆さ大門(さかさだいもん)」の神社の一つとして知られています。

江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも、この参道について「ここより社前までは下り坂なる故、土人これを逆大門とよぶ」と記されています。

不思議な伝説

この不思議な参道には、さらに興味深い伝説が残されています。

かつて神明社の社殿は東向きに建てられていたそうです。

ところがある夜、社殿が一夜にして西向きに変わってしまいました。

村人たちは不思議に思い、元の東向きへ戻しました。

しかし翌朝になると、また西向きに。

そんなことが三度も続いたある夜、村の名主の夢枕に神様が現れ、

「村を守るためには、西の伊勢の方向へ向けよ。大門が逆になってもよい」と告げたといいます。

それ以来、社殿は西を向くことになり、結果として鳥居が丘の上、社殿が坂の下に位置する現在の「逆さ大門」になった。

そんな神秘的な物語が、今もこの地に伝えられています。

絵馬に残る、庶民の願い

細山神明社には、もう一つ、興味深い信仰があります。

古くから、吹き出物や「下の病気」に悩む人々の信仰を集めてきたといわれています。

人々は願いを込めて絵馬を奉納し、藁づとに入れた蛤(はまぐり)を神前に供えました。

現在も拝殿には、近郷から奉納された絵馬が数多く残されています。

そこに描かれているのは、神に祈る女性の姿や蛤。

華やかな歴史の裏側にある、病気から逃れたい、家族が健やかに暮らしてほしい――。

そんな昔の人々の切実な願いが、絵馬を通して今にも伝わってくるようです。

大クスノキが見守る、細山の歴史

境内の入口に立つ、樹齢数百年ともいわれるクスノキ。

「逆さ大門」の参道を行き交う人々を見つめながら、この木もまた、細山の長い歴史を静かに刻んできたのでしょう。

川崎市まちの樹50選・王禅寺「カキノキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号42

麻生区王禅寺・王禅寺の柿の木(カキノキ)

日本最古の甘柿

川崎市麻生区の「柿生」という地名の由来は、この地域で古くから栽培されてきた禅寺丸柿(ぜんじまるがき)が深く関わっています。

その発見については諸説ありますが、建保2年(1214年)、王禅寺の山中で発見されたのが始まりとされています。

それから約150年後の応安3年(1370年)

朝廷の命を受けて派遣された等海上人(とうかいしょうにん)が、王禅寺の再建に使用する用材を求め、寺の裏山へ入った際に真っ赤に熟した柿を見つけました。

あまりの美味しさに驚いた等海上人。

寺へ持ち帰り植樹し、村人たちにも栽培を勧めたと伝えられています。

それまで日本にあった柿はすべて渋柿だったため、これが日本最古の甘柿(日本で最初に発見された甘柿)とされています。

こうして禅寺丸柿は少しずつ地域に広まり、やがて柿生を代表する特産品となったようです。

いまも残る、800年の記憶

平成19年(2007年)禅寺丸柿の歴史的な価値が改めて評価され、国の登録記念物として、王禅寺境内に残る原木と、そこから広まった民家の柿の木6本、合わせて7本が登録されました。

王禅寺に保存されている原木は、樹齢約450年ともいわれる原木の「ひこばえ」とされ、現在も大切に受け継がれています。

さらに禅寺丸柿は、「かながわの名木100選」にも選ばれています。

「柿生」という村が生まれる

明治22年(1889年)、町村制の施行によって、黒川、栗木、片平、五力田、古沢、万福寺、上麻生、下麻生、王禅寺、早野の10か村が合併。

地域を代表する特産品にちなみ、「柿生村」という名前が付けられました。


川崎市まちの樹50選・汁守神社「ヤブツバキ」

川崎市まちの樹50選・指定番号50

麻生区黒川・汁守神社の藪椿(ヤブツバキ)

川崎市麻生区黒川の静かな一角に鎮座する、汁守神社(しるもりじんじゃ)。

広さ約6,133平方メートルにも及ぶ境内には、保存樹が生い茂り、川崎市の「まちの樹50選」に選ばれたやぶ椿も残されています。

御祭神は、食物を司る神とされる保食命(うけもちのみこと)と、国造りの神として知られる大己貴命(おおなむちのみこと)です。

「汁守」という、ちょっと珍しい名前

この神社を訪れてまず気になるのが、「汁守」という珍しい名前ではないでしょうか。

その由来は、遠く武蔵国の総社である大國魂神社につながっています。

かつて大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」において、神様に供える食事「御饌(みけ)」のうち、汁物を奉納する役目を担っていたと伝えられています。

そこから「汁盛(しるもり)」、そして「汁盛明神」と呼ばれるようになり、現在の「汁守神社」という名につながったとされています。

かつて隣接する旧多摩郡真光寺村には、御饌のうち御飯を奉納していた飯守神社がありました。

汁を受け持つ「汁守」と、飯を受け持つ「飯守」。

両社はともに大國魂神社の例大祭で食事を奉納する「膳部(かしわでべ)」として、重要な役割を担っていたと考えられています。

境内に残る、江戸から明治の面影

創建年代は明らかになっていませんが、天明2年(1782年)には神像が造立され、社殿が再建されたと伝えられています。

正面の石段を上ると、境内には天保5年(1834年)建立の鳥居が迎えてくれます。

さらに現在の本殿と拝殿は、明治37年(1904年)から大正3年(1914年)にかけて、それぞれ独立した構造として新築されたもの。

また明治から大正にかけて、村内にあった八幡神社・八雲神社・日枝神社が合祀され、現在の「汁守神社」となりました。

境内の木々や古い鳥居を眺めながら歩けば、今からはるか昔、この地から武蔵国総社へと供物を届けた人々の姿まで、ふと想像したくなる神社です。