川崎市まちの樹50選・ 長念寺「イチョウ」

川崎市まちの樹50選・指定番号27・28

多摩区登戸・長念寺の公孫樹(イチョウ)

川崎市多摩区にある永池山長念寺。

その始まりは、大永2年(1522)に法専坊がこの地に草庵を築いたことに始まると伝えられています。

もともとは真言宗の寺院で、山号も当時の年号にちなみ「大永山」と称していました。

その後、文禄元年(1592)に、近くにあった三日月湖にちなみ「永池山」へと改められたといいます。

長念寺の歴史を語るうえで欠かせないのが、秀月禅尼という女性です。

秀月禅尼は、徳川家光に仕えた菅の領主・中根壱岐守平十郎正朝の母。

長念寺を深く信仰し、その庇護によって寺は大きく発展していきました。

徳川家によって本願寺が東西に分立された際、長念寺はいったん東本願寺に属することになります。

慶安2年(1649)、秀月禅尼の一周忌には、子の正朝によって本堂や山門、庫裏などが寄進されたと伝えられています。

しかし、門徒たちの思いは少し違っていました。

かつて大坂冬の陣・夏の陣の際には、門徒衆が自らの意思で豊臣方に加勢したという伝承も残されています。

時代の大きな流れの中にあっても、門徒たちは自分たちの信仰や寺とのつながりを大切にしていたのでしょう。

そうした門徒衆の強い願いを受け、元禄14年(1701)には西本願寺へ帰参。

現在まで浄土真宗本願寺派の寺院として続いています。

本堂、山門、庫裏はいずれも川崎市重要歴史記念物に指定され、江戸時代の寺院建築と境内の姿を今に伝えています。

本堂は文政7年(1824)に上棟され、庫裏もほぼ同じ時期に再建されたと考えられています。

山門は嘉永7年(1854)に上棟。

木造阿弥陀如来立像を本尊とする本堂を中心に、山門、庫裏が整然と配置された境内は、近世寺院の雰囲気を今に残しています。

登戸の街が大きく姿を変えていくなか、江戸の面影を残す建物と境内。

その静かな佇まいは、500年近くにわたる地域の歴史を、今にそっと伝えています。