川崎市まちの樹50選・橘樹神社イチョウ(公孫樹)

川崎市まちの樹50選・指定番号11

高津区子母口・橘樹神社のイチョウ(公孫樹)

古代の記憶を今に伝える、子母口の鎮守

川崎市高津区子母口の高台に鎮座する橘樹神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀る、地域の古い鎮守です。

かつては「立花社」とも呼ばれ、古くから子母口の人々に信仰されてきました。

その歴史を語るうえで欠かせないのが、日本武尊と弟橘媛にまつわる伝説です。

東征の途中、海が荒れたため、弟橘媛は日本武尊を救うため自ら海に身を投じたと伝えられています。

やがて媛の御衣や御冠などがこの地に漂着したという社伝から、ここに祀られるようになったとされています。

近くにある富士見台古墳にも、弟橘媛の「御陵」であるという伝承が残されています。

ただし、この古墳は実際には6世紀頃に築かれたものと考えられ、当時この地域を治めていた有力者の墓とする説もあります。

弟橘媛の御陵とする説を裏付ける確かな史料はなく、古代の歴史と伝説が重なり合う場所として、今も静かに残されています。

さらに興味深いのが、この一帯がかつて橘樹郡の中心地だったと考えられていることです。

神社の近隣には古代の郡役所にあたる「橘樹郡衙」が置かれていたと推定され、橘樹郡の総社であった可能性も指摘されています。

神社の周辺には、縄文時代の「子母口貝塚」、白鳳期の創建と伝わる「影向寺」、その塔頭のひとつだった「能満寺」など、古代から続く歴史の舞台が点在しています。

境内に残る、二つの歴史の碑

橘樹神社の境内には、日本武尊と弟橘媛の伝説を今に伝える、二つの石碑が静かに佇んでいます。

ひとつは、「日本武の松」の歌碑。


高さ約174cm、幅約90cm、厚さ34cmの堂々とした石碑で、表面には幕末から明治にかけて活躍した政治家・山岡鉄太郎(鉄舟)の筆による「日本武の松」の文字が刻まれています。

その左側には、押小路實潔による「社頭松」の一首が刻まれています。

碑の裏側にも、当時の人々の記憶が残されています。中央には「氏子中」の文字が刻まれ、その左右には神官であり神道本局大講義を務めた森義徳と、伊藤壽三郎房壽の和歌が記されています。

伊藤壽三郎房壽は、かつて橘樹神社にあった狛犬の建立にも関わった人物。そのことから、この歌碑も明治10年代前後に建立されたものではないかと考えられています。

もうひとつが、「橘比売命神廟」碑。


弟橘媛を祀る橘樹神社ならではの石碑で、日本武尊と弟橘媛にまつわる古い伝承が、この地で大切に受け継がれてきたことを物語っています。